杉本哲太という男。そのルーツと、若い頃に残した過去の軌跡。

杉本哲太は若い頃バリバリのヤンキーロックンローラーでした。

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紅麗威甦 credit photo : http://gozzip.jp
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おそらく知らないであろう、ほとんどの人は。
昔バリバリ言わせていた杉本哲太を。

まず杉本哲太を知る前に『横浜銀蝿』のことを知らないと話にならない。
ーー横浜銀蝿とはーー

横浜銀蠅

横浜銀蠅はその時代、一世を風靡した日本のロックンロールバンドだ。

横浜銀蝿とは正式なバンド名を『THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL』という。つまり彼らは1980年代に大活躍した所謂「ロックンロールバンド」だ。今でこそ、そんな恰好していたら笑われるが、彼らの当時の井出達は、決まって髪型は「ポマードバリバリねっとりのリーゼントヘア」服装は「ライダーズ革ジャン」そして白いドカンと呼ばれるズボン。 あなたは笑うかもしれないが当時はこんなアホみたいな恰好が最高にカッコいい‼‼と思われていた時代だ。

紅麗威甦 の哲太

銀蠅一家の弟分として『紅麗威甦 グリース』結成された。

シングル「横須賀baby」でデビューした横浜銀蝿は、当時の人気は結構凄かったのです。そしてバンドの人気もうなぎ上りになる中、既にロックンロール界の親分的存在と地位が確立してきた「横浜銀蝿」は、銀蝿一家として、弟分ともいえるロックンロールバンドを作り始めた。 その最初の弟バンドが『紅麗威甦 グリース』だ。 そしてこのバンドメンバーの中に『杉本哲太』がいたというわけだ。当時の杉本哲太はもちろん地元の暴走族。相当な不良少年だった。

そうそう、この紅麗威甦のメンバーには嶋大輔も所属していたんだ。当時の嶋大輔の髪型と言えば、jリーゼントはリーゼントだが、チリチリにパーマがかかった大迫力リーゼントだ。これも今では可笑しい、笑ってしまう。でも昔は生かしていた。

横浜地下街で不良と喧嘩していところを横浜銀蝿のリーダー(嵐ヨシユキ)さんに助けられたのはデビューすきっかけになったが、紅麗威甦の解散後は、ドラマや映画での活躍が主で且つてのロックンローラーとしても面影がすっかりなくなってしまったようだ。
紅麗威甦自体はデビュー曲「ぶりっこROCK’N ROLL / 翔んでるセブンティーン」となんだか弱弱しいタイトルだがオリコン最高6時位を記録している。

尚、杉本哲太はほとんどロックンロールの世界から離れているが、横浜銀蠅は今も尚、定期的にではあるが活動を続けている。

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